ARTIST - 幾見雅博 ikumi masahiro

「チューニングはパーフェクトの一言に尽きます。」
FUJIGEN Expert FL

私のギター(Expert FL)はネックがマホガニーとメイプルの3プライ構造のため非常に頑丈で、 以前ライブハウスで倒されるという事故がありましたが、大丈夫でした。

ボディートップがメイプル(キルテッドメイプル)、バックがマホガニーという構造で重量もあるのですが、その丈夫さには驚かされました。 指板の材質もかなり固め、ネックはまっすぐで、手に入れてから一度も調整した事が無いほど丈夫です。

サウンド的にはレスポールより少しタイトな感じです。 リズムカッティングの多い私にはぴったりです。 また、サスティーンも驚くほど長くチョッと考えられないくらいです。 チューニングに関してはパーフェクトの一言に尽きます。

これからも大事に使っていこうと思います。

幾見雅博

Biography

幾見雅博 Ikumi Masahiro

静岡県富士宮市に生まれる。うお座のB型。近所でも評判の可愛さであった。 母が病院、父は仕事で単身赴任につき小4まで祖父母のもとでわがままいっぱいに育てられる。その後、転校に次ぐ転校。9回におよび、かわいそうだがどこでもなじめる子供であった。結構もてた、と自負している。

中学時代、チェロを学び、ブラスバンドでは小太鼓でリーダーという典型的な、よいこであった。それが高校入学と同時に当時不良のやるものとされたエレキギターに、のめりこむ。これが人生の誤りであったことをまだ気づかない16歳であった。

大学入学と同時にJAZZ研究会入部。受付で、JAZZは難しいからやめろ、といわれ入ってしまった。GRANT GREENにとくにインパクトを受けたが、同時に隣の部室のジミヘンのパープル ヘイズも覚えてしまう優秀な子で、まじに学生JAZZ界のプリンスといわれ、思い上がっていた。その時SHARP&FLATSにギターの欠員ができ、オーディションに見事合格。4年間在団する。いきなり日本ジャズメン人気投票で5位!!思い上がり勘違いした。

その頃、渡辺香津美と出会う。4才下の少年に度肝を抜かれたが、意気投合して”2GUITERS”というバンドをつくり5年もやった。その後バンドを転々とする。自分が巧くなりさえすればそれでいいという、身勝手さでいろんな人に迷惑をかけ生きてきた。

25才頃には、もうスタジオミュージシャンとしても売れっ子で、一日に5セッションもこなす多忙さで大型アメ車に乗り、豪華マンション一人暮しというブイブイさであった。その後CM作家に転進。年間163本というCMを作曲し、記録を作った。

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